Kokopelli

備忘録と思考と好きな事などをつらつらと。

情緒と機能

 

機能とは作用のことであり、極めて科学的な概念なことが分かる。科学的だということは絶対解があるので数学によって証明ができ、言葉によって説明ができる。
対して情緒とは文脈依存性が高く、人による理解のボラリティが高いものだ。数字での証明も、言語による説明も不可能である。

 

情緒指数が低いものはこれからテクノロジーによって代替されていく。
デジタル画面上で見る人間は非常に情報量が少なく五感のうち視覚しか動員されない。これでは情緒指数は極めて低いので、人間の視覚が錯覚する程度のクオリティさえあればリアルな人間を登用する必要はない。ゆえに、CGファッションモデルを使うケースは今後増えていくだろう。
では、SNS上にありとあらゆるジャンルの完成形のようなバーチャルモデルが大量発生したらパリコレなどに代表されるファッションショーはなくなるか。僕はそうは思わない。人間は情緒を知覚することで進歩してきた生物だから、それなしに生きていくことはない…というより出来ないと思う。むしろ、機能が指数関数的に伸びている現代で、情緒にこそ深い価値が出る。

サービス業はそれが機能型か情緒型かによって取る戦略が大きく変わると思う。
ファミレスやファーストフードに、人は機能を求めてやってくる。安くおいしく早く手軽に食欲を満たしたい、と。こういったサービスの情緒指数は低いのでウェイトレスやシェフはどんどん機械に頼って効率化していくべきだ。
対して、高級レストランや高級寿司屋さんに代表されるサービスは情緒指数が極めて高い。その店に、安くないお金を払い足を運んだ自分。周りにいる人達の佇まいやドレスコード。こういった複雑な事象が絡まり合って言葉に出来ない感慨を生み出す…
ちなみに、銀座にある多くのお寿司屋さんのおもてなしを研究した京大の山内裕さんの話がめちゃくちゃ面白い。板前は無愛想で、おもてなしとはまるで逆の態度を取ってくる。一見さんお断り、と言わんばかりの対応で寿司を握る。一見するとサービスの悪い店だが山内先生によると、この板前の態度が逆に人を気持ちよくさせるらしい。曰く、自分より立場が下の人(ファミレスのウェイトレス)にサービスをされても、それは当然なので嬉しくない。自分より明らかに目上の人からサービスを受けるから気持ちが良い、これを追求したのが銀座の寿司屋だ、とのこと。なるほど…情緒指数ここに極まれり、、どれだけ安く美味しく寿司が食えても銀座の寿司屋は無くならないだろうなと感じた。

閑話休題
大塚家具が社長交代によってターゲットやポジショニングを変えて、前から停滞気味だった経営に留めを刺したのは記憶に新しい。
企業には歴史があって、社会からの認知-ブランド-がある。それを崩さず、効率化できるところを見極めて機能と情緒のミックスで生きていく。pelotonは家でも運動をしたいという機能と他者との一体感という情緒のミックスサービスに加え、ジムと違って場所の制限が無いことで爆発した。
D2Cの例として挙げられたボノボスも、機能と情緒が必要な部分だけ、それぞれ取り出してビジネスとして成功した。
コロナの影響で、実はリアルで会う必要のないことは多いのが分かってしまったので機能と情緒の二極化は更に進んでいくだろうなとも思った。

趣味と漫画と映画と本

【趣味】

・サウナ

1番の精神安定剤で、思考の場。悩んだらサウナ。辛くなったらサウナ。何にもなくてもサウナ。無条件でフレッシュになれるので大好き。旅行先も、まず良いサウナがあるかどうかを重視している。

 


・競馬

中学生から好き。ギャンブルとしての競馬ではなく、スポーツとしての競馬。そもそも馬と馬の戦いにドラマがあって好き。

加えて、競い合うのが馬というのが良い。馬の能力は性格・調子・天気・血統・地面の状態etc..様々な文脈で変化するので完璧な予想をすることは不可能。そんな不確定要素に、騎手という更なるファクターが乗ってくる。あらゆる変数の中で、何を重視して、何を捨てるのか。これらの予想がバッチリと合って馬券的中した時の気持ちよさは得られる配当金なんぞどうでも良いほどにクセになる。

・自然

自然が大好き。旅行するなら森林浴できるところが海沿いを希望。NYよりフィンランド、大阪より山梨。自然の中にいると、自分のエゴイズムや社会のノイズが削られて純粋な魂で居られる気がしている。忙しくなっても、自然と触れる時間は捻出したい。

 


・筋トレ

スカッとするので好き。日々自分が強くなる感覚で、自己肯定感も向上。健康上、生涯やっていきたい。

 


・エアロビクス

ダンスが好き。下手ですが。複雑な動き×有酸素が最も脳に良いらしく(※参照:脳を鍛えるには運動しかない!)、コミュニティを見つけて継続的に取り組みたい。

 


・コーヒー

朝コーヒーを飲みながら、考え事や読書をしている時間が幸せ。美味しいコーヒーを飲みながらゆっくりと人と話す時間が、飲み会よりも好き。

・マッサージをすること

趣味オブ趣味。マッサージは大抵人に喜んでもらえるので、やっていて幸せ。自分が腰を怪我して整体に通っていた経験をもとに、独学でマッサージをしている。

 


【映画】

レオナルドディカプリオは精神病の役を演じた時に、本当に精神病になってしまったという話がある。僕はこれを聞いて「映画は作り物の範囲を超えた、人間洞察における最高の教材なのでは?」と思い、出来るだけ沢山の映画に触れようとしている。ただのお話という視点ではなく、表情や細かい情動などを観察・推察して見てみるとより面白い。一番良いのは主人公の視点に入り込んで、その世界にトリップしてしまうこと。残念ながら僕は、ありとあらゆる創作物にそこまで深く没入できない。「あと15分で終わるから、そろそろこの敵に勝つんだろうな」みたいな客観性が出てきてしまう。なのであんまり泣いたり、激しく感情を揺さぶられることは多くないけれど、そんな自分でも身震いするような映画というのがある。こんな映画になかなか出会えない…というより感受性がない自分がもったいないと思いつつ、人生を豊かにする手段として映画も幅広く鑑賞していきたい。

 


ショーシャンクの空に

言わずもがなの名作。ラストの友情の美しさに悶絶。

MCU

全23作、全て見ました。アクション映画って派手な演出だけでしょ…と思っていた自分を殴りたい。個々のストーリー性はもちろん、それぞれのヒーロー達の統合性は圧巻。そして究極の選択を迫られた時に、人類を選択するヒーロー達に感化される。

インセプション

夢の中の夢に入り込むという、この設定が自分の感性にジャストミート。見た人はラストどうなったのかについてコーヒー飲みながら語らいましょう。

・ゲットアウト

僕の趣味は人間観察。とりわけ、言葉に出さない微妙な機微を読み取ることがスキ。ゲットアウトは出てくる人間達の違和感が満載。奇妙な違和感の読み解き、理解できた時の快感、うん良い映画。

愛のむきだし

園子温監督の作品が好き。人間の本質を、本気で描いてくれる。事実、監督はこの映画の主人公のヒロインに怒鳴りすぎて後半ほとんど話さなくなったという。それほど、人の本質を描くことに妥協がない。4時間もある長編映画だがそれを感じさせない面白さと、とてつもないエネルギーがこの映画にはある。

 


ニューシネマパラダイス

郷愁を感じれる少ない作品の一つ。あらゆるモノがクラウド化され、郷愁さは希少化している。過去の音楽も、作られたのは○十年前だとしても〝色褪せず、今ここにあるもの〟になってしまったからだ。そんな現代だからこそ、この映画の良さが炙り出される。言葉にできない心地の良いノスタルジーな感情が鑑賞後も自分に襲いかかっきて、これまた虜になる。

 


【漫画】

漫画はかなり好きで、それなりの量を読んできた。それでも漫画好きな人に比べたら到底敵わないので、漫画好きを公言するまでではない(好きな漫画もミーハーでしょ)。漫画は娯楽として楽しむモノでありながら、自分自身の人生に影響を与えまくっている。僕の中での漫画の効用は、ストーリーではなく、断片的な一コマのインパクトにある。スラムダンクの「諦めたらそこで試合終了ですよ」はあまりに有名だが、自分の脳内の安西先生が辛いときに何回この言葉を言ってくれたか分からない。ガッシュベルより、フォルゴレの「私はいつだってカバさんだった。私の姿は、キャンチョメの目にはカッコ悪く映っていたかい」で生きていく上で本当に大切なものは何か?を深い愛情でキャンチョメを諭すフォルゴレのカッコよさに震えなかったガッシュファンはいないだろう(内輪ネタすぎる)。こんな風に僕は意味不明なところでマメなので、印象的なコマは全て撮影して保存しては見返したりするので色々なフレーズが脳に刻まれている。(キングダムにいたっては300コマも保存してある!)これまで読んできた漫画の印象的な一コマ一コマが自分のプリンシプル形成に寄与してきた。すなわち、漫画によって自分は作られたという側面があるのでこれからも時間とお金が許す限り愉しんでいきたい所存である。

☆オススメなどあれば教えてください

 

狂四郎2030

 


狂四郎2030

ディストピア漫画の代表格。人は簡単に壊れてしまうし、誤った倫理観や正義を信じてしまう。そこに立ち向かっていく。この漫画ほど強烈なインパクトのある漫画に今後の人生で逢えるだろうか。。

 


スラムダンク

この漫画が、いつの時代だって男の子にとてつもない影響を与えてきたことを否定する人は誰もいないはず。多分に漏れず僕もその1人。

 


アイシールド21

先天性vs後天性。アイシールド21は極論するとこのテーマのために描かれている。現実世界は、努力を積み重ねればどんなポテンシャルのある人にも勝てる、なんてそんな甘い世界じゃない。けれど、だからこそ、この漫画の中の、後天的に努力して無理を不可能にする男達に多くの人が陶酔する。

 


ガッシュベル

僕にとっての道徳の教科書は、こころのノートではなく、金色のガッシュベル

 


こち亀

両津勘吉こそ、これからの世界に必要な人間なのでは?すること、なすこと全部が滅茶苦茶。迷惑だってかけまくる。それでいて、倫理観や道徳観は正常…どころか高邁なので、人は傷付けない。いつだって周りに人がいる。自分に素直に、他者に愛を持って、全員を幸せに導く。ダサいけど、カッコいい、新しいリーダーの形を両さんから学んだ。

 


ブラックジャック

ブラックジャックほど、優しく命の尊さを知る人間を他に知らない。高額請求は、ブラックジャックなりの審査基準。「このお金でも、救いたい命ですか?」と。たまに高額請求しておきながら、数千円しか請求しないなど粋な一面に痺れる。

自分の大切にしているものには何の糸目もつけず、all give。ブラックジャックが目指すのは個人の利益でなく、生命に対する深いリスペクトを持つ世界なのだ。

 


その他

ハンターハンター

・キングダム

宇宙兄弟

カイジ

・メジャー

 


【本】

今の自分が思うこと。読書は手段の目的化が起こりやすいコトの一種で、絶対善として認識されがち。「読書は良いこと」「若者は本を読め!」みたいな。僕はそう思っておらず、読書と人生(仕事?部活?)のパフォーマンスには純粋な相関関係はないというのが結論。当たり前なことで、本を読めば読むほど成功するならみんな読んでるはずだよね、と。そう考えているけれど、読書は自分に欠かせないものになっている。そんな僕の読書歴は信じられないくらい短い。自分の中での算定では読書歴合計1年になります。

少しばかり読書ストーリーを。

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両親が本を読まないので、僕も高校生まで一冊も読破したことがありませんでした。これはダメな意味でスゴイことだと思ってます。高校生まで本を一冊読み切ったことがないって、いやぁスゴイ…やばい。。

話を戻して、母校の中大杉並では3年間で100冊読書というのが学校として掲げているもので課題図書なるものが毎月の宿題として出されます。これがまぁツマラナイ。今思えば教育上必要だったんでしょうけれど、読書をしたことない自分にとって「古事記」だとか興味のない新書を読むというのは耐えがたい苦痛でした。これにて読書しないマンから読書嫌いへの綺麗な移行。

大学に入る前から入ったすぐくらいの徳永少年のモチベーションは気宇壮大(←皮肉であることに注意)。部活動に入りながら、起業しちゃうぞ?みたいなテンションだったわけで、そういったコミュニティ等に足を運んだり情報をネットで摂取してると読書は重要だと書いてある。それを間に受け、興味のある本をちょこちょこ読んで「え、読書オモシロイじゃん」となりました。大学生活はそれを足蹴りに、本を読もう読もうとしていたけれど通算30冊くらいかな…お恥ずかしながら。

部活引退後、それはそれはもう暇で、時間だけは海のようにあったので、読書に本腰を入れることにしました。2019/10-2020/3の半年間で300冊以上は読んだと思います。ポイントは〝読んだ〟のであって〝読破〟ではないことです。読書についての考え方が、大量の本と触れることで大きく変わりました。

①そもそも一冊読み切る必要はない

②つまみ食い・積読・未読、大歓迎

③思考の着火剤としての使用

ここらへんが今の自分の〝読書スタイル〟です。過去の自分と比べて相当大きな変化を遂げています。読書嫌いが本を読むようになるために必要なのは、上に挙げたようなマインドセットの変容だと感じています。読書嫌いで困ってますみたいな人は相談に乗らさせていただきます。

また少し話が逸れました。で、結局何が言いたいかといいますと「読書って人生を物凄く豊かにしてくれるじゃないの!」という多くの人が言っていることでございます。読書初心者ではありますが、これまで読書をしてこなかったことを後悔しております。(本当のことを言うと、僕は後悔という感情を抱くことがゼロなので文章構成上使いやすいから使っています)。ビバ!読書ということで、30歳の時にmy best 100冊を持ちたいなぁなんて思ってます。これはただのカッコツケですが、読書も今後の人生で時間をかけていきたい趣味?の一つとなりました。Fin

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上記ストーリーな通り、私はウルトラ読書ビギナーです。でもそれなりに効果みたいなものは感じていまして、そう考えるに至った10冊をここに記しておきたいと思います。今の自分が考える読書の効用は【概念の獲得】【行動の変化】【思考の深化】【情報摂取】【無知の無知の認識】【暗黙知言語化】。ここらへんでしょうか。絞り出せばもっと沢山ありますが…それぞれについて細かく書くのは省いて、簡単な書評に入ります。

 


好きな本

・Give&Take

与える人ほど勝つ時代…Give&Takeという概念が自分の性格形成に大きく関与している。

・生き方

一人の人間として、何よりも大事なのは人格であって、徳である。大学一年生の時に読んで、ここまで無私に他者に貢献しようとする人がいることに衝撃を受けた。稲盛さんのような存在に少しでも近づけたらと思うばかり。

・GoWild

生き方の根幹をこの本から得た。GoWildな生き方は人のあるべき姿で、それこそが幸せに導いてくれると信じている。

 


・時間とテクノロジー

つい最近読んだ本で、自分がずっと頭の中にあったが言葉にできないこと、理解できなかったことを全て具体化してくれた。読みながら鳥肌立ったのを今でも覚えている。

 


・10年後世界が壊れても、君が生き残るために今、身につけるべきこと

著者山口揚平さんの考え方が好き。詳細は省きますが、山口さんは高い次元で利他的で、温かい世界を実現しようとしている。本を読めばその世界観に少しだけだか触れられる。

 


・一勝九敗

柳井さんが使われる言葉自体は平易で、おっしゃることも、〝言われてみれば〟当たり前。真新しさや突飛なことは言っていないし、やっていない。そこに柳井さんの凄みを感じる。徹底的に考えてやり切り、無駄を削ぎ落として磨き上げられたFR哲学を垣間見ることができる一冊。

 


・自分の中に毒を持て

大学二年生の時に先輩から借りて(返していないことを思い出した…)読んだ一冊。岡本太郎さんも使う一つ一つの言葉は決して難しくない。ただ言葉の組み合わせが、まさに芸術家で、一文から感じるパワーが尋常じゃない。「己を失って惰性的に生活を続けているというのなら、本質的に生きているとは言えない。一人ひとりが強烈な生きがいに満ち溢れ、輝いて生きる社会=常に死と隣り合わせの世界を創り出すんだ」

 


・進化し過ぎた脳

脳科学などに興味を持つきっかけとなった一冊。脳科学はどうしても心や存在という哲学的な問いにぶつかる。脳科学と哲学とのせめぎ合い。そこを科学でここまで打破できてますよ、といわんばかりの池谷さんの解説が頗る面白い。

 


・脳はなぜ心を作ったのか

小学生の時に、自分にとっての赤色が他人にとって同じ赤色とは限らないのではないかと延々と考えていた自分にウルトラジャストミートな一冊。受動意識仮説の理解は、人生を一変させてまう恐れもある?

 


・サブリミナルマインド

無意識、潜在意識の類。これを読むと、いよいよ自分の意識や意思なんてそもそも存在しないものなのではないか?と考えさせられる。知的好奇心くすぐられまくりやがる本。

 

 

 

番外編

・増田のブログ

TSUTAYAなど運営するCCCの会長、増田さんのブログをまとめた一冊。さすがデザインなど企画にこだわってきた会社の本。紙書籍としての完成度やアート感がイイ。本というより、画集?の方が近いのかも。

こんなことを考えています

【健康(GoWild)】

メンタルヘルス認知行動療法など

well-beingともいわれる領域に興味があります。鬱病になったのが転機で、自分らしく主観的な幸福を模索していきたい。

・食事、睡眠、運動

精神的な健康は身体的な健康から。自分の心身を常にbestに保つための手段としてこの3つの最善方法を学ぶ。

・断捨離(ヒト・モノ・ジョウホウ)

浅く広い人間関係で生きていた時は孤独感があった。本当に大切な人を、心から大切にするようにしてからは関わる人数は減ったけれど孤独感は一切ないという良いパラドックスが起きている。

モノも、生きていく中で最低限のものだけで良いと割り切ってから私欲がなくなり脳内間接費削減に成功。必要なモノは、実はかなり少ないと実感。

ジョウホウに関しては下記にて詳細記載。

・デジタルデトックス

現代の人が受ける情報量は、江戸時代人の一年分だとされ過多状態が続いている。情報量が増えると人は思考しなくなると、信じているので、TwitterinstagramFacebookyoutubeはアプリを消して必要な時に必要な時だけ見る形にシフトした。(Twitterとインスタはアカウントごと消してしまった)

仕事を始めても、出来るだけデジタルデバイスと離れる時間を意識的に取りたい。


【無意識の理解】

クオリア

ある物事に対して、自分以外の他者がどうのように感じるかを知りたいという欲求が小学生から続いている。

 


・受動意識仮説〜意識はどこにあるのか〜

脳科学の結論は、意識は心の主ではなく、膨大なニューロンによって作られた成果物を都合よく要約されたものを、下流で観察をする役割というもの。すなわち、意識は主体的なものではなく、主体的だと思うように、見せられているだけ。この世界観がたまらなく好き。

 


・潜在意識

スピリチュアル的な意味ではなく、人間は無意識や潜在意識といった見えないものにかなり規定されると思っている。潜在意識が顕在意識にどのような影響を与えるか、科学と自分のという実験台を交えて深く理解していきたい。

 


・忘却、経験、記憶が人をどう形作るか

人は大量の経験を、有意識の中で、経験して、忘れていく。けれど確実に脳や潜在意識に経験や意識は記憶されていく。これらがその後、その人にどのような変化を生み出すかを知りたい。

 


【インスタントソサエティ(簡易社会化)】

・環境知能

色々なことが便利になっていく中で、人間の自由な意思とは何なのか。環境知能に左右されてしまって良いのか、などをグダグタと考えています。

 


・自己意図時間の減少

上記に近いが…「データの見えざる手」という本を拡大解釈・翻訳すると「幸せになるための一挙手一投足を、人工知能によって規定される時代が来るかもよ」といった感じ。人間が、自分の意思で「これをしたい!」という自己意図時間はどんどん減っていくのかもしれない。それは幸福な世の中なのだろうか?

 


・不便益

不便だからこそ益がある、ものにこれからは価値が生まれるのではないか。簡単に言えば、リモートで仕事はできるがリアルで会うなど。

 


・長期的な時間軸を持つ

ナンデモ簡単に、自分のトクになることが、スグに手に入る。功利的な考えが蔓延り、想いやりや人間本来の優しさのない世界になるのでは?

Ex.「この会社、もう受ける気ないからメールで適当に辞退連絡しておこう。」みたいな。

長い目で色々な事象を捉えていきたい。

 


【豊かな人生観の涵養】

・事後性の克服

これに意味があるのか、役に立つのか、自分に得があるのか。これらは事後性、すなわち〝後になってみないと、分からない〟

事後性の克服がない人生は、非常に窮屈な生き方だと思う。事象に対して、〝目先の利〟より自分の素直な感情やピュアな互恵の精神で意思決定していきたい。

 


パースペクティブの拡張:無知の無知を知る

森岡毅さんの本から抜粋したパースペクティブ。曰く、「自分が認識できる世界の広さ、視野の広さ」。人間の感情・行動は知っている言葉や概念の奴隷だと思っているので、とにかく無知の無知を知ることで、無知の知を増やして、無知を学んでいきたい。

 


・セルフアウェアネス

インディアンポーカーという遊びがあって、〝他人からは容易にわかることが自分には全く見えない〟ということを利用したゲームになる。

 

このように、自分のことというのは自分が一番認識をしづらく、往々にして誤った解釈をしがち。就活生の中に、自己分析の過程で誤帰属を起こし、本来とは違う自分を「私はこんな人だ」と規定してしまうケースを見かける。血液型のA型の人が、自らA型の行動を無意識にしてしまうのと類似。

セルフアウェアネス(自己認識)は難しいが、常に意識して、メタな視点で自分を捉えたい。

 

 

 

【性格、人格について】

・徳如海

「徳、海の如く」を大切に生きていきたい。自分の人生におけるファーストプライオリティは〝徳〟。愛と言い換えても良いかもしれない。

日々、人格を研鑽していく。そしてこれはローマのように、1日してならず。常に胸に携えている三文字。

 


・良し悪しではなく、好き嫌い

成功(広義)こそ全てという価値観のもと、ある文脈に沿った成果を出せない自分や他者を悪だと思っていた時期がある。鬱期間を超え、自分が信じていたモノサシは自分だけのもので世界はもっと多様な価値観や基準があると知った。基本的にあらゆる事象や考え方は、その人それぞれの好みの問題でしかなく誰も否定することはできないと思っている。

この考え方をしてから随分と他者を認めて、自分にも優しくなれたような気がしている。

 


・Give&Given

与え、与えられる世界の中で生きていく。高校2年生くらいまではキリスト教7つの大罪の権化みたいな酷い人間だった。恩師との出会いで、どれだけ自分が周りの人に支えられているかを痛感。今の自分があるのは、全て周りの人のおかげと心の底から思えた。takeを前提としたgiveは、その時点でgiveではない。無償のgiveを積み重ねていく。

 


・step on virgin peak(未踏峰を踏め)

ある登山家の言葉で、徳永のことを端的に表現していると思う。自分でもウンザリするくらい天邪鬼、とにかく人と違うことをやりたい。流行ってるものを良いと認められない。

そんな自分が大切にしているライフコンセプトが、この言葉に詰まっている。

就活を終えた大学四年生が①バイト②飲み会③旅行三昧をしているのを見て、全部逆張り。バイトせず、飲み会行かず、旅行行かず、ただ部屋で本を読む生活になってしまったというオチ。

 


・やることは変わらない

高校大学と7年間ボート競技に自分の全てを注いできた。ボート競技の難しさは、調子の良し悪しが日々ジェットコースターのように変わること(詳細は省略)。そんな中で、コーチに言われ続けたことがこれ。いかなる状況の中で、どれだけ不利を受けても、不満や愚痴を口にしたくても、やることは変わらず〝今自分ができるベスト〟を愚直にやるのみ。コントロールできる範囲に注力し、その結果(コントロール不能領域)は素直に受け入れ、またベストを尽くす。ボート競技からの1番の学びはこれかもしれない。

 


・エポックメイキング

新しい時代を作り上げる、革新的な事柄・事象を起こすことを指す。

非常に幸いなことに、自分の人生はエポックメイキングなことが沢山起きて、ある程度そこに自分も貢献できた自負がある。こんなことを生涯できたら…というのが22歳現在の想い。当然タフネスで、困難多いけれども、他者や組織に対してエポックメイキングな人間でありたいと思い続けている。

これは備忘録

ノムさんの本読んで、一番すげーなと思ったのがめちゃくちゃにチーム作りや人間にコミットしてるところ。

野村ノートを作ったり、配布してミーティングしまくってたのも凄いが、それ以上に日々の小さな声かけとか説得とかをやりまくってるのがノムさんの凄さ。
無能リーダーはワンショットの施策(こういうこと始めましょう!みたいな)物事を解決しようとするが、真のリーダーは日々のほんの細かい意識と絶え間ないコミットメントを怠らない。

組織はそもそも複雑な人間が幾つも連なる超複雑生命体だから、本質的に変えたり良くしていこうと思うと貼った写真のようなやり方しかないんだろうし、繰り返すがそれをノムさんは実践していたf:id:LoveDriven218:20200308101226j:imagef:id:LoveDriven218:20200308101231j:imagef:id:LoveDriven218:20200308101235j:imagef:id:LoveDriven218:20200308101245j:image

またまた採用の話

一貫した想いが無い採用は嫌い。

会社が大きくなるとどうも仕方ないのかもしれないけれど、人事が部分最適な考えの会社がどうも好きになれない。「一緒に頑張ろうよ」ではなく「この会社に入って欲しい」で語ってくる。

本来のミッションは〝入社後に活躍…会社に貢献してくれそうな人を採用する〟なはず。僕のスキな会社の皆さんは、入社〝後〟をクリアに提示してくれたり考えてくれた。イヤな会社は、とりあえず入って欲しいみたいに非常に短絡的で、「それって貴方のKPIのためですよね?」と思わざるを得なかった。

一貫した想いを持って採用にあたってくれた企業の方とは今も親しく…というよりご厚意で関係が継続している。僕の人生ではなく、自分の成績を追っていた人事の方とはサヨナラバイバイしている。

趣味の定義〜どこから趣味っていっていいの?〜

趣味は人生を豊かにすると思う。「じゃあ、趣味を増やそう!」といって簡単に増えるものでもない。何をもって趣味と呼べるのか、自分なりの解釈を示したい。

 

まず、趣味を「没頭していて、それを行なっている間はもうワクワクが止まらないコト」と定義している。ここでポイントなのは熟練度は一切問わないということ。

物事を熟練するためには、ごく簡単にすると《投機時間》と《相対的な習熟度の高さ》が求められる。この2つの変数を一切無視して、「それが好きなら、もう趣味でイイじゃん!」という態度をとっている。

 

最近始めたもので結構、詳しくなくて結構、好きならまあそれは趣味ということでやりましょうよってな訳なので責めないでね。