Kokopelli

備忘録と思考と好きな事などをつらつらと。

情緒と機能

 

機能とは作用のことであり、極めて科学的な概念なことが分かる。科学的だということは絶対解があるので数学によって証明ができ、言葉によって説明ができる。
対して情緒とは文脈依存性が高く、人による理解のボラリティが高いものだ。数字での証明も、言語による説明も不可能である。

 

情緒指数が低いものはこれからテクノロジーによって代替されていく。
デジタル画面上で見る人間は非常に情報量が少なく五感のうち視覚しか動員されない。これでは情緒指数は極めて低いので、人間の視覚が錯覚する程度のクオリティさえあればリアルな人間を登用する必要はない。ゆえに、CGファッションモデルを使うケースは今後増えていくだろう。
では、SNS上にありとあらゆるジャンルの完成形のようなバーチャルモデルが大量発生したらパリコレなどに代表されるファッションショーはなくなるか。僕はそうは思わない。人間は情緒を知覚することで進歩してきた生物だから、それなしに生きていくことはない…というより出来ないと思う。むしろ、機能が指数関数的に伸びている現代で、情緒にこそ深い価値が出る。

サービス業はそれが機能型か情緒型かによって取る戦略が大きく変わると思う。
ファミレスやファーストフードに、人は機能を求めてやってくる。安くおいしく早く手軽に食欲を満たしたい、と。こういったサービスの情緒指数は低いのでウェイトレスやシェフはどんどん機械に頼って効率化していくべきだ。
対して、高級レストランや高級寿司屋さんに代表されるサービスは情緒指数が極めて高い。その店に、安くないお金を払い足を運んだ自分。周りにいる人達の佇まいやドレスコード。こういった複雑な事象が絡まり合って言葉に出来ない感慨を生み出す…
ちなみに、銀座にある多くのお寿司屋さんのおもてなしを研究した京大の山内裕さんの話がめちゃくちゃ面白い。板前は無愛想で、おもてなしとはまるで逆の態度を取ってくる。一見さんお断り、と言わんばかりの対応で寿司を握る。一見するとサービスの悪い店だが山内先生によると、この板前の態度が逆に人を気持ちよくさせるらしい。曰く、自分より立場が下の人(ファミレスのウェイトレス)にサービスをされても、それは当然なので嬉しくない。自分より明らかに目上の人からサービスを受けるから気持ちが良い、これを追求したのが銀座の寿司屋だ、とのこと。なるほど…情緒指数ここに極まれり、、どれだけ安く美味しく寿司が食えても銀座の寿司屋は無くならないだろうなと感じた。

閑話休題
大塚家具が社長交代によってターゲットやポジショニングを変えて、前から停滞気味だった経営に留めを刺したのは記憶に新しい。
企業には歴史があって、社会からの認知-ブランド-がある。それを崩さず、効率化できるところを見極めて機能と情緒のミックスで生きていく。pelotonは家でも運動をしたいという機能と他者との一体感という情緒のミックスサービスに加え、ジムと違って場所の制限が無いことで爆発した。
D2Cの例として挙げられたボノボスも、機能と情緒が必要な部分だけ、それぞれ取り出してビジネスとして成功した。
コロナの影響で、実はリアルで会う必要のないことは多いのが分かってしまったので機能と情緒の二極化は更に進んでいくだろうなとも思った。