Kokopelli

備忘録と思考と好きな事などをつらつらと。

こんなことを考えています

【健康(GoWild)】

メンタルヘルス認知行動療法など

well-beingともいわれる領域に興味があります。鬱病になったのが転機で、自分らしく主観的な幸福を模索していきたい。

・食事、睡眠、運動

精神的な健康は身体的な健康から。自分の心身を常にbestに保つための手段としてこの3つの最善方法を学ぶ。

・断捨離(ヒト・モノ・ジョウホウ)

浅く広い人間関係で生きていた時は孤独感があった。本当に大切な人を、心から大切にするようにしてからは関わる人数は減ったけれど孤独感は一切ないという良いパラドックスが起きている。

モノも、生きていく中で最低限のものだけで良いと割り切ってから私欲がなくなり脳内間接費削減に成功。必要なモノは、実はかなり少ないと実感。

ジョウホウに関しては下記にて詳細記載。

・デジタルデトックス

現代の人が受ける情報量は、江戸時代人の一年分だとされ過多状態が続いている。情報量が増えると人は思考しなくなると、信じているので、TwitterinstagramFacebookyoutubeはアプリを消して必要な時に必要な時だけ見る形にシフトした。(Twitterとインスタはアカウントごと消してしまった)

仕事を始めても、出来るだけデジタルデバイスと離れる時間を意識的に取りたい。


【無意識の理解】

クオリア

ある物事に対して、自分以外の他者がどうのように感じるかを知りたいという欲求が小学生から続いている。

 


・受動意識仮説〜意識はどこにあるのか〜

脳科学の結論は、意識は心の主ではなく、膨大なニューロンによって作られた成果物を都合よく要約されたものを、下流で観察をする役割というもの。すなわち、意識は主体的なものではなく、主体的だと思うように、見せられているだけ。この世界観がたまらなく好き。

 


・潜在意識

スピリチュアル的な意味ではなく、人間は無意識や潜在意識といった見えないものにかなり規定されると思っている。潜在意識が顕在意識にどのような影響を与えるか、科学と自分のという実験台を交えて深く理解していきたい。

 


・忘却、経験、記憶が人をどう形作るか

人は大量の経験を、有意識の中で、経験して、忘れていく。けれど確実に脳や潜在意識に経験や意識は記憶されていく。これらがその後、その人にどのような変化を生み出すかを知りたい。

 


【インスタントソサエティ(簡易社会化)】

・環境知能

色々なことが便利になっていく中で、人間の自由な意思とは何なのか。環境知能に左右されてしまって良いのか、などをグダグタと考えています。

 


・自己意図時間の減少

上記に近いが…「データの見えざる手」という本を拡大解釈・翻訳すると「幸せになるための一挙手一投足を、人工知能によって規定される時代が来るかもよ」といった感じ。人間が、自分の意思で「これをしたい!」という自己意図時間はどんどん減っていくのかもしれない。それは幸福な世の中なのだろうか?

 


・不便益

不便だからこそ益がある、ものにこれからは価値が生まれるのではないか。簡単に言えば、リモートで仕事はできるがリアルで会うなど。

 


・長期的な時間軸を持つ

ナンデモ簡単に、自分のトクになることが、スグに手に入る。功利的な考えが蔓延り、想いやりや人間本来の優しさのない世界になるのでは?

Ex.「この会社、もう受ける気ないからメールで適当に辞退連絡しておこう。」みたいな。

長い目で色々な事象を捉えていきたい。

 


【豊かな人生観の涵養】

・事後性の克服

これに意味があるのか、役に立つのか、自分に得があるのか。これらは事後性、すなわち〝後になってみないと、分からない〟

事後性の克服がない人生は、非常に窮屈な生き方だと思う。事象に対して、〝目先の利〟より自分の素直な感情やピュアな互恵の精神で意思決定していきたい。

 


パースペクティブの拡張:無知の無知を知る

森岡毅さんの本から抜粋したパースペクティブ。曰く、「自分が認識できる世界の広さ、視野の広さ」。人間の感情・行動は知っている言葉や概念の奴隷だと思っているので、とにかく無知の無知を知ることで、無知の知を増やして、無知を学んでいきたい。

 


・セルフアウェアネス

インディアンポーカーという遊びがあって、〝他人からは容易にわかることが自分には全く見えない〟ということを利用したゲームになる。

 

このように、自分のことというのは自分が一番認識をしづらく、往々にして誤った解釈をしがち。就活生の中に、自己分析の過程で誤帰属を起こし、本来とは違う自分を「私はこんな人だ」と規定してしまうケースを見かける。血液型のA型の人が、自らA型の行動を無意識にしてしまうのと類似。

セルフアウェアネス(自己認識)は難しいが、常に意識して、メタな視点で自分を捉えたい。

 

 

 

【性格、人格について】

・徳如海

「徳、海の如く」を大切に生きていきたい。自分の人生におけるファーストプライオリティは〝徳〟。愛と言い換えても良いかもしれない。

日々、人格を研鑽していく。そしてこれはローマのように、1日してならず。常に胸に携えている三文字。

 


・良し悪しではなく、好き嫌い

成功(広義)こそ全てという価値観のもと、ある文脈に沿った成果を出せない自分や他者を悪だと思っていた時期がある。鬱期間を超え、自分が信じていたモノサシは自分だけのもので世界はもっと多様な価値観や基準があると知った。基本的にあらゆる事象や考え方は、その人それぞれの好みの問題でしかなく誰も否定することはできないと思っている。

この考え方をしてから随分と他者を認めて、自分にも優しくなれたような気がしている。

 


・Give&Given

与え、与えられる世界の中で生きていく。高校2年生くらいまではキリスト教7つの大罪の権化みたいな酷い人間だった。恩師との出会いで、どれだけ自分が周りの人に支えられているかを痛感。今の自分があるのは、全て周りの人のおかげと心の底から思えた。takeを前提としたgiveは、その時点でgiveではない。無償のgiveを積み重ねていく。

 


・step on virgin peak(未踏峰を踏め)

ある登山家の言葉で、徳永のことを端的に表現していると思う。自分でもウンザリするくらい天邪鬼、とにかく人と違うことをやりたい。流行ってるものを良いと認められない。

そんな自分が大切にしているライフコンセプトが、この言葉に詰まっている。

就活を終えた大学四年生が①バイト②飲み会③旅行三昧をしているのを見て、全部逆張り。バイトせず、飲み会行かず、旅行行かず、ただ部屋で本を読む生活になってしまったというオチ。

 


・やることは変わらない

高校大学と7年間ボート競技に自分の全てを注いできた。ボート競技の難しさは、調子の良し悪しが日々ジェットコースターのように変わること(詳細は省略)。そんな中で、コーチに言われ続けたことがこれ。いかなる状況の中で、どれだけ不利を受けても、不満や愚痴を口にしたくても、やることは変わらず〝今自分ができるベスト〟を愚直にやるのみ。コントロールできる範囲に注力し、その結果(コントロール不能領域)は素直に受け入れ、またベストを尽くす。ボート競技からの1番の学びはこれかもしれない。

 


・エポックメイキング

新しい時代を作り上げる、革新的な事柄・事象を起こすことを指す。

非常に幸いなことに、自分の人生はエポックメイキングなことが沢山起きて、ある程度そこに自分も貢献できた自負がある。こんなことを生涯できたら…というのが22歳現在の想い。当然タフネスで、困難多いけれども、他者や組織に対してエポックメイキングな人間でありたいと思い続けている。