Kokopelli

備忘録と思考と好きな事などをつらつらと。

運び屋(映画)

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主人公アール・ストーンは花に命をかけていて、家族をないがしろにするダメな夫であり、父親。

インターネットの流れに乗れなかったアール・ストーンは廃業に追い込まれ、とうとう家族(内)でも社会(外)でも居場所を失った。

そんなアール・ストーンに新たなチャンスが舞い降りた。そのチャンスとは〝薬物の運び屋〟。

運び屋の報酬は莫大。こうして得たお金で家族からも社会からも信頼を回復していった。

 

運び屋としてのセンスは抜群。何故なら自由気ままに運ぶからだ。多くの運び屋は時間通り、ルートも守り着実にミッションを遂行するからこそ、それらを先回りするGメンに捕まってしまう。対して、アール・ストーンの行動は読めない。

薬物売買のボスに厳しくルートや時間を言いつけられ、縛られているマフィア達にアール・ストーンはこう語りかける。

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敵対していたマフィアとも友情を築いてしまうなど、アールストーンの人柄に惹かれるシーンの数々。

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運び屋という悪でも自分を受け入れてくれる居場所がそこにあるなら、分かっていても辞められない人の脆さ。

家で居場所がない時に外の社会に居場所を求めたように、社会で居場所が無くなったアールストーンは違法組織に居場所を求めてしまった。

 

最後の最後のシーンで、弁護人が無罪を主張する中でアールストーンは自分は「有罪だ」と言う。

これは、これまでの自分が生きてきた人生が間違っていたことを認めるという意味の発言だったと思う。

収容所で、大好きだった花を育てているアール・ストーンが最後の描写として映る。

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自分の人間としての弱さや脆さを認めても、人には居場所がある。

そんなメッセージをこの映画からは感じた。