Kokopelli

備忘録と思考と好きな事などをつらつらと。

情報の取捨

人間は自分が興味を持っていることしか情報として認識できない。カラーバス効果なんて言うらしいが、まさにそうだと身をもって最近感じている。

 

人類のために生きる、地球規模の視座で生きるなんてことをMCU作品を見て考えたわけだが(←単純かつ傲慢なことに注目)、そう頭で考えてから貧困問題や環境問題などの情報が目に入りやすくなった。そうしたことに関心が高まっている。

 

あるベンチャー企業の役員の方が「自分はこの世界をもっと良くしたいし、変えていきたい。そういう意味でITという時代の最先端に触れられていることは良かったと思っている。単にITだけやればよいとかそういう話ではないよ。」とおっしゃっていた。

 

自分が描きたいものはなんなのか…なんて思いながら布団でゴロゴロしてる晴天な今日。

 

部活引退した時に書いたブログが想像以上に自分らしさ全開だった

皆さま、お疲れ様です。徳永貴大です。

約3年半、めちゃくちゃ長かったです笑 でも終わってみればあっという間な気もします。

この手の文章は大変長くなってしまうのが私の悪癖でして、今回は短く、回りくどい言い方などせず真っ直ぐに書いていこうと思います。

まず、中央大学ボート部は自分の大学生活の全てです。そしてボート競技は高校生の時から足掛け7年、常に人生の中心にありまして先日の引退は自分の命が1つ終わったような感覚です。

今は本当に清々しい気持ちです。やり残したことも、後悔も何一つ無いですから。こんな終わり方が出来たことを光栄に思います。

 

中央大学ボート部に関わる全ての人に伝えたいことは、兎にも角にも僕はこの部活が大好きだということです。この部活のためだったら何でもする、そんな大学生活でした。

 

自分の中の信念を貫き通せたことは一番誇りに思っています。僕の信念は「チームのため、艇速のための言動と行動をすること」でした。とにかくこれは徹底してきたつもり。どんな時も、これはチームのためになるのか?艇速につながるのか?自問自答していました。ただ、これを読んでいる僕を知っている方はご存知の通り、残念ながら繊細な心の持ち主である僕は、その信念を持ちながらチームに貢献出来ていないと主観的に感じる時に強いストレスを感じる人間で、潰れてしまったことは申し訳なく思っています。

 

自分がどうしたいかより、自分の立場を客観的に鑑みてチームのために何をすべきか。艇速を出すために、どんな声かけをすべきか、どういった態度でいるべきか、自分に何が出来るのか。

自分としては、風呂のタイミングや飯のタイミングも考えてました。どの時期に、どういった話をしてあげると、後輩の為になるかなみたいなことも、あくまで自分の中でですが、計算してました。そんなことを考え続けて、自分なりに表現してこれた。苦しいことが多かったですけど、信念をブラさずやれたのは今後の人生においても自信になりますね。

 

ここには書き切れないですが、短く伝えたいこと、感謝したいことも記しておきたいと思います。

スタッフの方々
今シーズンは、結果を出すためならスタッフの方々であっても遠慮をしないと決めていました。
大変扱いにくい存在だったかと思いますが、最後の最後で結果で恩返し出来て本当に嬉しかったです。レース後にスタッフの方々と握手して喜び合った時のことは生涯忘れません。

栄養大学の皆さん
ご飯毎日美味しかったです。そして、僕らのためにいつも頭を悩ませ、メニューを作ってくださりありがとうございます。常に選手ファーストでいてくれる栄養大学さんに頭が上がりません。
サポートはもちろん、人としても素敵な人ばかりでした。ありがとうございました!

全てのお世話になった先輩方へ
今の中央大学ボート部があるのは先輩方のおかげです。僕は先輩方の苦労や努力が結果として形になって、報われたのが今年だったと理解しています。一緒に涙を飲み、理想を語り、情熱を燃やした日々は宝物ですね。これからも仲良くしてください!

後輩の皆んなへ
何度か伝えたけど、俺らの代についてきてくれてありがとう。俺は本当に後輩の皆が好きです。皆のおかげで、毎日の寮生活楽しかった。皆といると、最上級生として中途半端な組織には絶対したくないと思わされて、後輩が俺にとって部活動を頑張るモチベーションにもなってた。
先輩としては、そんな皆が勝つところ見ることが一番嬉しい。まずは新人、そして来シーズンも応援してます。


同期へ
何だかんだ同期に何か伝えるのが一番恥ずかしいけど、最後だし良い機会なので笑
まず、今年の4年生は本当に強かった。競技力が高かった。でもこれは、努力の賜物だと思ってる。
一年生の頃から仕事で怒られて、寝る時間がただでさえないのにビデオ室でボートの動画見てたね。あの時の熱意のまま、最後でボートをやり切った同期を俺はいつも凄いと思ってた。皆んなほど努力出来ない、頑張れない弱い自分に自信を失くしたことも多々あった。けど、そんな皆と最後までやり切れたことはこれからの人生で大きな自信になる。
艇の上でも何よりも心強い存在だった。どんなことがあっても同期の皆は諦めないし、ボートを速く進めることに一切妥協しない。求めるレベルが高かったから上手くいかないことばかりだったけど、これだけボートと向き合って厳しくトレーニングをし続けてきたからこそ最後みんなで笑って引退出来たかな。
ほんと、良い時に入って、良い時に抜けられる(笑)なんて俺は思うんだけど、その良い時を作ったのは自分達だと胸を張って良いんじゃないかな。いつも俺は甘い発言ばっかなんだけどさ、俺らは本当によく頑張ったよ。みんなお疲れ様。この代で漕げて良かった。

 

どうしても長くなります、あと一つだけ、これだけは書かないといけない。
このチームはマネージャー無くして成り立ちません。これは特に後輩選手のみんな、よく読んで欲しい。
マネージャーは紛れもないチームの一員であり、共に日本一を目指す仲間です。選手はそれを忘れてはいけない。そしてマネージャーも遠慮することなく、日本一に向けて部活にフルコミットして欲しい。
互いを理解し合い、同じ熱量で部活動に精一杯励んでいってほしいなと思います。そうすればまた、優勝した時に同じ喜びをチームみんなで感じれるよ。マネージャーと選手の関係を良くしたいというのも一貫して言い続けてきたこと。自分が入部した頃よりは良化したかな。自分が何かしらのポジティブな変革に少しでも貢献出来たことは嬉しいことです。

 

最後に中央大学ボート部に入部を決意した高3の自分にメッセージ。(茶番にお付き合いください笑)「高3の自分、今は学校終わり戸田に通って毎日シングルスカルで練習してるね。そしてエイトで日本一になると唱えながらウェイトをしているね。入寮、不安でたまらないでしょ。先輩ら怖いだろ笑 
安心して欲しい。お前は一番良い時に中央大学ボート部に入部して、素晴らしい先輩や同期、後輩といった仲間に恵まれて今のお前が想像もつかない遥かに良い景色を何度も見ることになる。インカレのエイト決勝を見にきて、強く感銘を受け、こんな夢舞台に一度で良いから漕いでみたい、そう思ってるよね。なんとその後お前は3回もその舞台に立って日本一の挑戦をすることになる。
最後の最後、引退する時に自分がどんな景色が観れるのかは、今のまま一生懸命努力して是非自分で観て欲しい。今の俺が言えることは 徳永貴大のボート人生は本当に本当に本当に最高だったということ。じゃ、頑張れよ!」

徳永 貴大

少々異常な趣味

これは趣味と言っていいのか分からないけれど…魅力的(広義な意味)だなぁと思った人のことを知らずにはいられないわけです。全部知りたい。とにかく知りたい。

男性であろうと女性であろうと、自分の感性に引っ掛かった人のことは全部知りたい。奇跡的にその人と会える機会をいただけたら、それはもう質問攻めしてしまって「面接されているみたい」と苦笑いされることもしばしば。

 

この前なんてヨガインストラクターの人のこと調べてたらあっという間に2時間。我ながら変態だなと思うわけです。

その人がなぜその仕事について、どういう思いで仕事をしているのか。心の奥底での葛藤や悦びなど骨の髄まで知り尽くしたい。飽くなき人間への探究心が、人の心を動かす(←傲慢)能力の成長に相当な割合で影響している。

こんな特殊性癖を持ち合わせる人生ってのも意外と悪くないなと思う平日の朝です。

マーベルを見て

自分の人生が何のためにあるのか

自分の時間、すなわち人生をどこに使うのか

自分が、他者とこの世界のために出来ることは何か

 

何の実力もない今の自分だが、人類のために生きるという視座を持って生きていきたい

人として見るか、道具として見るか

損得で人間関係を考える人は、得をくれる人を道具として見る。道具なので、その効用が無くなったらいらないということで、縁が長く続かない。要は使い捨てで人のことを考えている。道具に生命がなく、わざわざ道具のために何かしようとは思わない。それと同じで損得で人付き合いを考える人からの愛(広義でのgive)は無い。

人間は道具のようにある固定された効用しかない単純なものではなく、複雑で多面的で一見では分からないもの。今すぐに得や利をくれるインスタントな人間関係を繰り返すのは生物本能的に誤っていると思う。多くの生物が利己的な行動しかしない中、時間的な奥行きを持って、利他行動をしたほうが結果的に生存確率が高いということで、我々には他者を積極的に助ける遺伝子が先天的にプログラミングされている。

先天的なものに逆らっても幸福度は上がらない。

インスタント・ソサエティ

全ての物事がどんどんインスタント化している。何をするにも簡単に、そして時間がかからなくなった。素晴らしいテクノロジーの進歩で、人類の勝利だとも言える。ただ、これに伴い弊害が一つあると考えられている。何でも簡単に、そして早くできるようになった現代では「今がよければそれでいいじゃん」「わざわざ大変なことやらなくてもよくね」といった思考が蔓延するインスタント・ソサエティ(簡易社会化)が進む。あらゆることが面倒になり、このインスタント化は加速度的に進んでいく。

今や本はネットで要約され、エッセンスはyoutubeなどでも見れる。連絡を取るのにわざわざ手紙を書く人はいない。大して頑張らなくても幸せが得られる現代で、歯を食いしばるような努力をする人もいない。スマホ世代は映画すら見る集中力がなくなり、youtubeばかり見ているらしい。

うーん、これでいいのだろうか。インスタント・ソサエティ化した社会では、真の優しさも生まれにくいと思う。即時的な見返りがなければ、行動しない人が増えていくからだ。少し前なら、長い時間軸のもと「まぁこの貸しはいつか返してくれれば良いからさ」「いつも悪いねぇ」みたいな美しいgive&takeが成立していた。これからは「これ、お願いしても良いですか?」「良いですけど、その見返りはいつくれるんですか?」みたいな歪んだgive&takeの形になっていく。脳がインスタントに慣れると、長い時間軸で生きていけなくなるのではないか。そんなので良いんだろうか。この点については色々考えてみたい。