知覚の恒常性で、人間を知覚するな
今日図書館で
https://www.newtonpress.co.jp/newton.htmlを読んでいて思うことがあったので少し書いてみます。若干論理が飛躍してますが悪しからず。
人間の脳の性質を利用した錯覚を起こす「チェッカー・シャドー錯視」というのがある。
AとBは一見違う色に見えるが、実は同じ色である。初見の人は驚いたのではないか?筆者も思わず「嘘だろ?」と何度も雑誌の画像を確認した。(この図の解説は一番最後に書いてます。)
これは人間の「知覚の恒常性」という性質を利用した錯覚である。
「知覚の恒常性」とは何か。
〝対象が同じであっても、見る方向や距離、照明などが異なれば、網膜に映る像もそれに合わせて変化するが、対象は比較的一定のものとして知覚される。これを知覚の恒常性と呼ぶ。〟
もう少しだけ簡単に書くと、ある物(対象物)は環境や様々な要因で見え方が変わることがあっても脳はそれを同一物として知覚するという訳だ。
人間という生物は生まれ持って、一度知覚した対象物に対してそれが恒常的であると勝手に認識するような脳にプログラミングされているのだ。
これ、対象物と書いているが抽象度を上げて考えると人間にも当てはまるのでないか?というが今回の仮説。
高校から大学に上がった時やこれまで仲良かった人と疎遠になって暫くした時に
「あいつは変わった」
「昔は良い奴だったけど、今はもうダメ」
などなど、こんな類の会話をよく聞く。
多分に漏れず、筆者もそんなことを言ってきた1人だが〝知覚の恒常性〟というものを知ってそれらは筋違いの会話だったと感じた。
人は〝知覚の恒常性〟があるので、ある対象物が恒常的、つまり変わらないものだと錯覚してしまうことはこれまでに書いた通りだ。
これを対象物だけでなく、人間にも我々は無意識に当てはめてしまっているのかもしれない。
「〝あいつ〟とは環境も変わったし今はそんなに会わないけど、〝変わってない(恒常的)〟だろう」
そういったことを、勝手に他人に期待しているのではないか。
だからその期待が裏切られた時に、最初にあげた図の答え合わせをした時の様な「嘘でしょ?」という反応が起こるのではないか。
人は変わる。自分も変わる。決して恒常的でない。無意識の〝知覚の恒常性〟に惑わされず、他者の変化・変容に寛大であろう。
そんなことを思わされた祖母宅近くの図書館での一コマ。
【補足】
冒頭の図で、知覚の恒常性がどう使われているかの説明を簡単にしておきます。
Bは一見、白色に見えます。それはなぜかと言うと周りのタイルが白なので、脳が「影がかかってるけど、このタイルの規則性から、多分こいつも同じものだろ」と知覚の恒常性を発揮するからです。
なので、実際はAと同じ色なのに我々は錯覚してしまうのです。