Kokopelli

備忘録と思考と好きな事などをつらつらと。

映画とか音楽とか愉しむの割と大変って話

テクノロジーの進歩であらゆることが同時に出来るようになった。テレビ×食事、音楽×家事・通勤・作業、スマホ×徒歩・トイレetc...

色んなことが、〝ながら〇〇〟出来るようになった今だから一つのことに集中して取り組む時間の価値が相対的に上がってくると思う。

〝ながら〇〇〟の効用の一つは時間短縮だが、脳が一度に処理できる情報量は増えないので二つのことを同時にするなら一つ当たりの情報量を減らして処理するしかなくなるのではないか?

この考えに基づけば、同時に処理する対象物が増えれば増えるほど、一つ一つの味わいが薄れていくことになる。

脳には可塑性(変化が可能ということ)があるので、〝ながら〇〇〟に慣れていくとそれに適応した脳になっていく。この順応の結末は、一つの対象物に没頭出来なくなることでないかと思う。今は他者と話していてもスマホを触りながらになったりする。もしスマホを触っていなくとも、机の上にあれば返信や通知に自分の注意を振り分けながら他者と話すことになる。これって、純粋にその人と話すことに集中できているのだろうか?

自分が本当に好きな音楽や映画を1-2時間、携帯とパソコンをシャットダウンしてそれだけをとにかく集中して見てみる。〝ながら〇〇〟に順応してしまった脳だとこれが結構キツイ。ただ、24時間の中でこうした〝何かに没頭して集中する時間〟を意図的に作らないと、本当に愉しみたいものの豊かさを味わえない人間になってしまうというのが最近の結論。映画か音楽か読書か…料理・皿洗いでも良い。とにかく一つのことしかやらない、それに自分の最大限の注意を向ける。そんな時間を1日15分でも意識してとることで、インターネット社会の弊害に飲み込まれず人本来の感性をキープ出来るのではないか。

 

GWは意図的に、何か一つに専心する時間を多く作りたい。