悪とは何か
夜と霧に手を出してみた。
ナチスドイツがユダヤ人を迫害していた時の、実際の被収容者が書いた本。この中にカポーという存在について書かれている箇所がある。カポーとは収容所の監視員で、暴力的で犯罪性向がある人を囚人の中から選出したとされている。カポーは時に、ナチスドイツ員より激しく囚人に殴打していたらしい。もとは同じ立場でもある囚人、気持ちもわかるだろうに何故こんな酷い事が出来るのか?
ここで山口周さんの〈武器になる哲学〉を開いてみる。テーマ9に書かれているのはハンナ・アーレントという人が書いたアドルフ・アイヒマンについて。アイヒマンは、ユダヤ人虐殺計画を指揮した人で超極悪人だと想起されていたが逮捕された時にあまりに普通の人で関係者は大きなショックを受けたという。アイヒマンは普通の人でユダヤ人に対しての憎悪など微塵もなく、ただナチス党で出世するために与えられた任務を一生懸命こなしただけという有り様だった。
カポーとアイヒマンに共通して見られるのは、システムを無批判に受け入れることの脆さだ。
悪というのは、それを意図する人の能動性に依存すると考えられがちだが、そればかりではなく受動的に行われてしまうこともあるという示唆は興味深い。現在、属する組織やシステムに対して、思考を停止してしまうと知らず知らずのうちに〈悪〉に走ってしまう恐れがある。
自分はこれまでカポーになってしまったことはないか?省みたい。
【追記】
夜と霧の著者は、これらの収容所から帰還した人たちに「良い人たちはいなかった」と言い切っている。良心を失い、人の物を盗み、容赦なく蹴落とせる人間しか生き残らなかったことを示唆している。この例のように、放っておくと悪が生まれてしまうようなシステムを包括する組織では業績は上がっても〈定性的な良い人〉は残らないのではないか…と、こんな仮説も立てられる。
(システムに対して取れる策は2つ。1つはそのシステムの中で、どう上手く立ち回るか。もう1つは新たなシステムを構築出来ないかと批判的に物事を思考していくこと。多くのビジネス書が前者に偏重している。そういうのはあまり読まないほうが良い?のかな)