Kokopelli

備忘録と思考と好きな事などをつらつらと。

途中、まとまってもない、思考録。

先日、ウメガメのスープと呼ばれる水平思考パズルを行った。パズルと言っても、複数人で会話しながらやるものだけれど。このゲームの出題者になっていると人間の思い込みやバイアスが、いかにその人の思考を操作しているか分かる。

そんなことを考えながら、脳科学は人格を変えられるか? (文春文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4167908980/ref=cm_sw_r_cp_api_i_Es-pEb6D06P9Z を読んだ。この本もまた人間がいかに多くのバイアス(思い込みや偏見)に囚われているかを考えさせられる。著者は幸福はその人のサニーブレイン(楽観的思考)とレイニーブレイン(悲観的思考)のバランスによって決まるとしている。

そもそも人間の脳は無駄なメモリを使わないように、ある程度の情報から推測した値を我々に見せている。進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス) https://www.amazon.co.jp/dp/4062575388/ref=cm_sw_r_cp_api_i_zz-pEbZ272274 の中で、視覚情報について書かれた節がある。人間の視神経は100万画素程度しかなく、100万画素のイメージが湧きにくいが今の自分が見て世界の鮮明度より遥かに低い画素数である。では100万画素しかないのに、なぜ人間は世界をクリアに見れるのか。それは脳が少ない情報から視神経に推定した値を送り、そのように見せているからで、だから目の錯覚が起きる。

こんな調子で人間というのは様々なバイアスに囚われている。そして、どのバイアスを持っているかが個性なのではと考えてみた。

もはや当たり前すぎて疑いもしない、思い込みや固定観念もバイアスとしてみたときに、ふと思ったのが「何故差別をしてはいけないのか」ということ。差別の是非を問い直すことをしたいのではなく、自分自身が無思考で手に入れたバイアスに対して思慮を重ねてオピニオンを持つことこそ重要ではないかということが言いたい。

人類は2万年近く脳の大きさや身体が変わっていないのにも関わらず、ナチスドイツに代表されるほんの70-80年前の人間があれだけの非人道的行為に及んだことを考えると、あれは決してその当時の人たちがひどく残虐的だったという風には考えにくい。今の我々だって当時ナチスドイツの幹部であったら同じことをしたのではないか。そうした気質を孕んでいる可能性は大いにある。ハンナアーレントは無思考にシステムに適応する脆さや恐ろしさを訴えている。それを踏まえた上で、今自分が出来ることは当たり前になっている固定観念に対して思慮をしてオピニオンを持つこと。