Kokopelli

備忘録と思考と好きな事などをつらつらと。

幸せについて②

幸福の哲学:岸見一郎から一部抜粋

マケドニアアレクサンドロス大王が、ソクラテスの流れを汲むギリシアの哲学者であるディオゲネスの元に 赴いた時のこと。ディオゲネスは生活上の必要を最小限にまで切り詰め、自足した生活を送っていた。アレクサンドロスは、マケドニア王に即位した後、ペルシア征伐の全権将軍に選ばれたが、多くの政治家や哲学者が彼のところに祝いにやってきたのに、ディオゲネスだけは、アレクサンドロスをまったく問題にせず 閑暇 を悠々と過ごしていたので、自らコリントスギリシアの都市) にいたディオゲネスの元へ足を運んだのだった。  ちょうどディオゲネスは日向ぼっこをしていた。そこに多くの人がやってきたので、彼はちょっと身を起こしてアレクサンドロスをじっと見た。アレクサンドロスは彼に挨拶をして「何かほしいものはないか」とたずねた。するとディオゲネスは、「その日の当たるところから少しばかりどいてくれないか」といった。》

 

自分自身の20代での最大の収穫は、上記の文章で言うディオゲネスの価値観を〈知っている〉だけでなく〈分かっている〉という状態になったことだと思っている。

20歳になってすぐに軽度鬱になり、嫌というほど生きることや人生について考えた。あんな辛い日々は二度と…と強く思うがあの日々で得た教訓は今後一生活きていくだろう。それは物凄くシンプルで「自分の心が満たされているのかどうかが一番大事だ」ということ。社会での成功?お金?権威?そんなことはどうでも良い。極論ニートで引きこもりであろうが、その人自身が幸せであれば良いじゃないかと。周りから何を言われても、なんと思われても、自分の心が満たされているなら人生って偉大じゃないか、そんな風に考えるようになった。依然の自分は社会的な成功が全てと考えていたので、とてつもない変化&進歩だ。

幸せになる、のではなくそもそも人は幸せであるというのがアドラーの主張の一つだが、まさにその通りで自分自身の心にだけ目を向ければ幸福を感じるのはそんなに難しいことでもないように思う。過去みたいに必要以上に自分を責めることもないし、偏った責任感を背負うこともなくなった。そういえば最近、責任とは概念だみたいなことを読んだ…けどこれはまぁいいや。

人は幸福になるために生きる。幸福こそ人生。まぁこれが非常に難しいんだけれど、自分なりの幸せを他者に惑わされずこれから長い人生で探求していきたい。

 

 

追記

これを書いている今は超寒いので、自販で味噌汁みたいの買ったが美味すぎる。。あったまるし。。少々論点違うけれど、こんなことでも幸せって感じるな。。f:id:LoveDriven218:20191225235704j:image