Kokopelli

備忘録と思考と好きな事などをつらつらと。

今を生きる現代詩

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自分は詩を全く知らない。というか、対極の人間?こういった風情を味わうとかまるでやってこなかった学のない人間なのだ。ただこれは、食わず嫌いなだけでいつかは触れてみたいなぁと思っていて、まず初めとしてこの本を手に取った。

書くことは色々あるのだけど、印象的なのは詩への理解について。詩は正直言って、意味がわからないことが多い。ただ、どうやらこれは自分の読解力の無さでなく、詩とはそういうもので、むしろ理解-分かってはいけないというのだ。そして、詩から何か教訓を学びとろうという姿勢も非常にミスリードだと。じゃあ、詩とは何なんだ。意味のわからない詩をどうやって読めば良いのだ。

そんな問いへの答えが【中学生のわたしには 、むずかしいことはなにも考えられなかった 。ただ 「感じる 」ことはできた 。いま 、いそいで 「わかった 」と言ってこれを処理することの安っぽさと 、 「わからない 」状態にながく身をおいていることのたいせつさ 。 「わからない 」ことは高貴な可能性なのである 。すべての人には 、 「まだわからないでいる 」権利がある 。そして国語教科書の詩の単元は 、この権利をわたしからうばうものだった 。 「わからない状態のたいせつさ 」という考えは 、このころに芽ばえ 、いつのまにかわたしの生涯のテーマになったように思う 。】

なるほど、理解しよう、分かろうとするのではなく、ただただ感じれば良いと。むしろ、詩には何らかの答えや筆者の伝えたいことが決まっており、それを読解するという小学校などでのアプローチは最悪で、分からないままだからこそ味わいが出るとの筆者の主張。これには唸った。

更には【進んで「わからない」感覚を保持することは決して楽なことではない。この点で(略) Margulies の論文の中で引用されている詩人 John Keats の考えが大変面白い。それは彼が negative capability と呼んだものであって、「不確かさ、不思議さ、疑いの中にあって、早く事実や理由を摑もうとせず、そこに居続けられる能力」のことである。 Keats はこれが詩人にとって必要不可欠の能力であると説いたのであるが、しかし詩人にとってと同じくらい面接者にとってもこの能力が必要である。】

ははぁ、nagative capabilityという概念が素晴らしい。分からないを維持する能力。分からないというのは一般的にはレベルの低い状態だと考えられているがそうではない。分からない時間を維持して、葛藤して、問答して、自己の中で熟成してこそ、詩というものが味わい深く、個人の解釈で浮かび上がってくる、とこんな感じだ。

筆者は途中、現代の極端な効率主義に対して詩人としての意見を呈している。要約すれば、「効率主義は人間のこころを豊かにしたわけではなく、むしろ貶めた。効率とは正反対の、分からない詩を何度も読み返すというのは現代に汚された人のこころの薬になるのではないか」。

これは最近自分が非常に重視していることの一つだ。今は本当は簡単に物が手に入るし、情報なんて機械が勝手に自分に最適化して持ってきてくれる。ただ、これで良いのか?人は機械を創るが、その機械に人が造られしまうのではないか?こんな仮説を待っているので、徹底してそういったものと切り離した逆張りの生活を心がけている。そんな中で、詩を味わうというのは、今の自分のモットーのど真ん中であり、時間を投資すべきコトではないか…と考えさせられる本だった。