Kokopelli

備忘録と思考と好きな事などをつらつらと。

Twitterに書いたやつ

①スポーツの世界では、当然のことながら結果が最重要視される。 大学スポーツにおいても結果は重要視される事柄だが、それだけでなくそのチームの組織と個人がどれだけ闘争したかも重要だと思う。 結果を出せてない=頑張れていない・努力が足りていない、という考え方を打破する論説を示したい。

②結果出せなかったとしても、メンバー間で猛烈に日夜議論をして、日々難航の中で闘い続けた組織と個人にこそ大学スポーツの醍醐味と価値があると思っている。 組織と個人の優劣は、結果だけで規定されるべきではないというが端的な結論 この辺りについて考え続けているが全く言語化できず苦心している

③A:センスと生まれ持った身体で、それなりの練習で勝てている選手 B:大学から競技を始め、身体も大きくないが不撓不屈の努力で準決勝に進んだ選手 結果というモノサシで見れば明らかにAが優秀だが、違う見方をすればBの方が優秀 長い時間軸で考えたらBの方にこそ価値があるのではないか、など

④結果を求めていく上で、自分由来の思考・実践・挫折・成功体験などといった無数の闘争体験を経た上での結果には最上の価値があるが、マグレやポテンシャル・誰かのイイナリのままただやるなどで得た結果での価値は薄いのではないか

⑤こうした考えのもと「結果は全てだが、全てではない」という現在の価値観に繋がっている 「結果が全てではない」を成果を出せていない人が言うとただの言い訳になってしまうが、それは真理であるので間違ってはいないというジレンマ